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ことりんのスマイル

ことりんのスマイル

手術・当日

「手術・当日」


手術当日は、OPEが9時からだったので、確か8時頃には病棟に入りました。
昨日の夕食後から食止めだった事以外は、OPE前といっても特に特別な事は無い様に思いました。(昨日の夕食では、看護婦さんに「最後の晩餐だねぇ」と、笑えるような笑えないような微妙なジョークをかまされました。)

琴音は相変わらず、力が無い感じで、私の事を呼ぶばかりです。
看護婦さんが琴音に手術衣を着せにきた時、「術前に髪を剃りますが、剃った物はどうしますか?」と聞かれました。「皆さんは普通どうしてるんですか?」と聞いたら、「とっておいて欲しいという人と、処分していいという人と半々ですね。」というので、「じゃあ、とっておいてもらえますか?」と答えました。
琴音の髪は生まれてから一度もはさみを入れた事がありませんでした。3歳の七五三まで切らずに伸ばそうと決めていたのです。2年も経ってないとはいえ、元々髪の毛が多かった琴音はすでにセミロングくらいの長さがありました。
まさかこんな事で、琴音の髪にはさみが入る事になろうとは、夢にも思っていませんでした・・・。

9時前になり、先生が来て手術室に移動する事になりました。ストレッチャーに乗せられた琴音はいつもと何かが違う事に気づき、「ママ~、だっこ~」と泣きはじめました。
エレベーターを降りて3Fの手術室に行きました。ドラマなんかで見るのとは違い、手術室の扉は子供を怖がらせない様、かわいいキャラクターの絵がたくさん貼ってありました。
親としては大変な覚悟をして見送らないといけないのですが、先生の方は「じゃっ行ってきます」という感じで、何の躊躇も無くさっさと中へ連れていってしまいました。扉が閉まると琴音の泣き声も遠ざかりました。

手術後は、ICUにしばらく入る事が決まっています。
手術中は、手術室と同じ階にあるICUの待合室で過ごすように指示されました。
看護婦さんが、待合室の使用方法なども説明してくれ、OPEが終わるまでは、必ず身内の1人が誰かは待合室にいるようにと言われました。

初めの内は何もする事が無くて、元夫はソファーで仮眠をとったり、私は前日に買ったnon-noを読んで時間をつぶしたりしていました。(それにしても最近、「いい加減non-noの年じゃないんじゃないの?」とあちこちから声が挙がるようになり、ちょっとムッとする今日この頃。愛読ファッション誌は『non-no』、『MORE』、『WITH』ですがダメ?)両方の実家の親も来たので、親に買い物を頼んだりもしました。

ICUの面会時間が10時からなので、10時を過ぎると待合室にちらほらとICUの面会にきた親御さんたちが出入りをはじめました。ICUに入室するには待合室に設置されているインターホンで中に声をかけて、許可が下りてから入室する、という仕組みになっているようでした。

入室を待っている親御さんとお話をしたりしましたが、待っている間に千羽鶴を折っている方がとても多くて、「私もあとで買ってきて作ろうかな」、と思いました。

OPE室に入って2、3時間過ぎた頃、(時間の記憶が定かじゃないのですが。)「IVHカテーテル」の方のOPEが終わったと連絡が入り、手術室の扉の中にある部屋で、外科の先生からムンテラがありました。無事に入った事でひと安心でしたが、やっとこれからが本題のOPEだと思うと、まだまだ先の長い道のりです。

とりあえずひと段落したので、しばらくして私は実母と一緒に最寄り駅のジャスコまで、休憩と買い出しに出かけました。一休みして、千羽鶴用の折り紙と夕食を買ってから病院に戻りました。

8~10時間のOPEで終わるのは夕方・夜にはなってしまうだろうと言われていましたが、夕方になってもなんの音沙汰もありませんでした。とても気になりましたが、連絡が無いのはうまく進行しているという事だろうと思い、夕食を食べに行ったり千羽鶴を折ったりしていました。
夕方を過ぎると、昼間どうしても仕事が抜けられないといっていた私の実父もやってきました。

ICUは夜も10時まで面会時間があるので、待合室も結構出入りがあり、インターホンがなるたび、「うちかな?」と思ってしまうのですが、うちには何の連絡も入りません。8時になっても9時になっても何も無く、私はその内しびれがきれて、手術室の前の廊下に出て待つようになりました。

それからも、10時11時と予定時間をだいぶ上回っているのに連絡はありません。
時間が経てば経つほど、だんだん不安になってきます。

途中、脳外の先生が術衣で出入りをしましたが、「まだ時間がかかりますが、無事に進行してますので。」と言って入っていってしまいました。
正直、まだかかるなんてビックリでした。こんな長時間、子供が耐えられるんだろうかと心配でたまりませんが、先生の言う事を信じて待つしかありませんでした。
それにしてもDrっていうのもこんなに長い事集中し続けるなんてすごいなあ、と改めて思いました。

深夜12時頃、元夫の実家の家族が「申し訳ないですが明日、町内のお祭りがあって係になっているので帰ります。」といって引き上げていきました。(ダンナの実家は千葉のいなかでこういう事にすごく力が注がれるらしい。)
ここだけの話、私は「は?有り得ない。」と思ってしまいました。育った環境の相違なのかもしれないですが、これってどうなんでしょう。
まあ、結果的には引き上げて下さった方が、色々気を遣わずにOPEの事だけに集中出来るので良かったかもしれませんが。(うちの父は特に憤慨していました。)

とにもかくにも、全然連絡が来ないまま1時も過ぎました。ICUの看護婦さんも「こちらにも全然連絡がないんですよ。大変ですけどもう少しお待ち下さいね。」と言っていました。

深夜2時頃、OPE室を出入りした脳外の先生が「今、頭を閉じてますので、もう少しで終わりますので。」と教えてくれました。
少しほっとしましたが、それからしばらく連絡はなく、終了の連絡が入ったのは深夜3時頃でした。

18時間に渡る手術が、やっと終わりました

琴音が手術室からICUに運ばれた後、私たちは主治医から別室でムンテラを受けました。
先生は、まだ術衣のままでとても疲労している感じでした(当たり前でしょうが)。

「これが琴音ちゃんから摘出した腫瘍の一部です。これを生検に出して、腫瘍の種類を判断してもらいます。1週間後、土日を挟むので、再来週の月曜には結果をお話できると思います。」と、先生は瓶に入った腫瘍を見せて下さいました。
それはやっぱりグロテスクで、見てて気持ちのいい物ではなく、先生は「一部」と言っていましたが、とても大きな物体でした。
でもたったこんな物が、琴音の命を奪っていこうとしてたのかと思うと、腹立たしくてなりませんでした。
それから、9割は確実に摘出できた事、しかし、左延髄の外側に一部腫瘍が残存していて、そこはどうしても傷つける事が出来なかったことを説明されました。
週明けにはCTを撮る予定になっていて、OPE後の脳の様子を見てみるという事でした。そしてICUでの状態をみて、一般病棟に戻すという事になりました。

ムンテラ後、もう明け方4時にもなるくらいの時間でしたが、ICUの琴音と少しだけ面会させてもらえました。

入り口で専用サンダルに履き替え、紫外線消毒をした上着を羽織り、入室前に手を洗い、部屋に入るには手を使わず足でセンサーを押して入室する仕組みになっていました。
ICUはTVドラマみたいに個室に区切られてはおらず、ベッドがずらーっと横一列に並んだ、奥まった部屋でした。
その部屋の一番奥に、琴音はものすごい数の管や機械がつながれた状態で眠っていました。一瞬、自分の娘とは分からないくらいでした。娘の物々しい姿を見て、切なくて胸がいっぱいでした。痛みなどを緩和する為、眠剤を眠らせた状態をしばらく保つという事で、ほとんど意識が無いような感じでした。

ひとまず、姿だけは確認する事が出来たので、また、今日の午前中の面会時間に来る事にして、一旦ひきあげましたが、自分の娘が一番辛い思いをしている時に、そばにいる事が許されない親の存在理由って何だろう、と少し考えてしまいました。


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